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​常楽寺について

​歴史

その昔に天台宗仏生寺(ぶつしょうじ)があったが荒廃してしまった。そこに文明16年(1484)、念仏の教えを受けた空観(くうかん)栄覚(えいがく)上人が応仁の乱戦没者供養のために一宇を建立し、天龍山(てんりゅうさん)常楽寺としたのが当寺の始まりである。 その後、第八世典空(てんくう)顕朗(けんろう)上人の時、桶狭間の戦い(1560)に敗れた家康(当時は松平元康)が岡崎に向かう途中、従兄弟(いとこ)の顕朗上人を頼って当寺を訪れ岡崎に帰られた。その折に頂いた鐙(あぶみ)と鞍(くら)は今も寺宝として残されている。その後にも家康は当寺を2度訪れており、徳川家との縁は現在まで続いている。本堂内「天龍山」の額は徳川家達公、外正面の「常楽寺」の額は尾張徳川家義親公の筆です。

お寺の見どころ

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阿弥陀如来立像

本堂のご本尊で体内に「弘長3年(1263)7月法橋円覚作」の名がある。その墨書きが残っていることと、お姿や衣紋の美しさから国の重要文化財に指定されている。

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十二間四面の木造本堂

昭和15年再建落慶。大正13年10月、不慮の火災により本堂と棟続きの諸堂を失う。その後お檀家や関係者が力を合わせ現在の景観を整えた。本堂の丸柱と造作は全て欅(けやき)を用い、風雨に晒される外装材は檜(ひのき)材をあてた。昭和時代に造られた本堂としては県内でも屈指の建物です。堂内に座るとご本尊と相まって、その重厚さに心が落ち着きます。

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広い境内と黒松

昭和年代まで知多半島には黒松の林が多くありましたが、今ではほとんど無くなってしまった。そうした中で常楽寺の境内には40本の松が残っている。

​施設

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超世院

塔頭のひとつ、超世院(ちょうせいん)。ページはちらから。

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遣浄院

塔頭のひとつ、遣浄院(けんじょういん)。 ページはこちらから

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真如院

塔頭のひとつ、真如院(しんにょいん)。 ページはこちらから。

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来迎院

塔頭のひとつ、来迎院(らいこういん)。 ページはこちらから。

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祖霊殿

祖霊殿(それいでん) 常楽寺本堂の後ろにあり、お檀家さんのご先祖をまつっています。いつでも参拝できます。

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